2008年11月26日水曜日

リコール署名簿の”閲覧”をめぐる疑問と公約について

リコール署名についていくつかの誤解が存在していますが、その最大のものは、署名したすべての人の氏名が市役所の掲示板などに公示されて、自分が署名したことが公衆の面前で明らかになり、自分の身に不利益がおよぶのではないかという危惧の念をいだく人が少なくないということであります。
だが、ご心配には及びません。

署名簿の配布と普及はすでに2500冊にも及んでおり、これは段ボール箱にして8箱を優に超える量なのです。
署名簿は署名の期間(12月21日まで)が終わったら市役所の選挙管理委員会(総務課内)の管理のもとで「縦覧」されます。
「縦覧」とは署名をした人が自分の署名が理由もなく削除されていないか等を、集められた署名簿を閲覧することでチェックするための場と機会であり、おそらく市役所庁舎内の会議室(選挙管理委員会職員が立ち会う)がその場として使用されるでしょう。
そして、市内有権者のかたの閲覧申請がなければ、選挙管理委員会は署名簿を公開することはありません。

また、市内の有権者の方であれば誰でも閲覧申請はできますが、たとえば私の名前が署名簿にあるかどうかを第三者が捜そうとしても、ダンボール8箱分の署名簿のなかから、私の名前を自分で手作業で探さなくてはならず、ほとんど気の遠くなるような作業となってしまうでしょう。
それゆえ、自分が署名したことが署名を依頼した方や選挙管理委員会の職員以外の第三者に知れるということは現実的にはまずおこりえないことと思います。
安心して市民の権利であるリコール署名をすすめてください!

ところで、市民の利益のためには公約を破ってもかまわないと主張するものがおりますが、これはとんでもない暴論です。
議会制民主主義のイロハもわきまえないものです。
国や自治体のあり方を決めるのは主権者である国民や市民です。
そして、議会制民主主義という代議制度のもとでは、国民や市民は政治家の公約を信頼して自らの主権を委ねることとなります。
完全無欠ではありえない政治家に国民や市民は自らの生命財産を託すのですから、公約とは明確な政治家と有権者との契約となります。
そして、政治家は公約を実現できなければ契約違反として下野をせねばならず、あらためて国民や市民の信を問わねばなりません。
そうしてこそはじめて、代議制度という間接民主主義のもとで国民主権が実現されます。
そのような意味で国民主権を実現するために公約の遵守は欠くことのできないものであり、政治家が自らの都合や勝手な判断で公約を投げ捨てることは民主政治のもとではゆるされません。

いま国民の政治不信が極度に高まっているのも、政治家の公約違反がまかりとおっていることに大きな原因があります。
1996年の総選挙において、政権与党は当選議員のほとんどが消費税について「引き上げ反対」、「実施先送り」、「引き上げ凍結」と公約を掲げておきながら、政府が97年の4月に消費税の税率を3%から5%に引き上げたときには何も反対しませんでした。

また、いま与党の座にいる某政党は、1998年の総選挙で「年金水準を国の責任で維持します」と公約をしましたが、99年に与党入りするとまもなくその舌の根も乾かぬうちに、年金の支給開始年齢を60歳から65歳に延期し、くわえて全世代の給付額を減らす年金改悪を強行しました。

このような政治家の公約違反がまかりとおるところに政治不信の原因があり、それが民主主義を形骸化しているのです。

                            西岡記す




0 件のコメント: